既に作詞家として名を成していた永が次に挑戦したのはテレビのバラエティ番組だった。今やテレビ史を飾る名作「夢であいましょう」だ。そこでアシスタントディレクターを務めた下川純弘氏、当時を語れる人は彼しかいない。
「夢であいましょう」の頃の永さんと私。
おまけ:遠藤泰子さんによる歌詞の朗読「生きているということは」
NHKテレビ・元ディレクター、音楽プロデユーサ―。1961年日本放送協会(NHK)に入局。翌年、テレビ音楽バラエティ「夢であいましょう」に配属。演出チーフ・末盛憲彦氏の下で音楽担当のアシスタントディレクターを1966年番組終了まで務める。永六輔作詞、中村八大作曲「今月の歌」の制作に数多く携わった。その後「世界の音楽」「ステージ101」「昼のプレゼント」「歌のゴールデンステージ」など音楽番組を演出。1974年創設に携わった「レッツゴーヤング」は伝説的アイドル番組となった。その後も多くの音楽番組やイベントの企画・制作で活躍した。
フリーアナウンサー。立教大学文学部日本文学科卒業。TBSにアナウンサーとして入社。数多くのラジオ、テレビに出演した。5年後にはフリーとなる。テレビでは、「3時にあいましょう」「世界音楽祭」「歯の時間」などの司会を務める。ラジオでは入社2年目から始まった「永六輔の誰かとどこかで」(全国ネット)の永六輔のパートナーとして永が亡くなった2016年まで49年間相手役を務めた。並行して始まったTBSの長寿番組「森本毅郎スタンバイ」は27年になる名コンビとして現在も放送中。その経験を活かした講演活動、話し方研修、朗読会なども多数。著書「あったかい言葉で話したい」(大和書房)他。