永六輔さんと私永六輔を語る

「夢であいましょう」の頃の永さんと私。

既に作詞家として名を成していた永が次に挑戦したのはテレビのバラエティ番組だった。今やテレビ史を飾る名作「夢であいましょう」だ。そこでアシスタントディレクターを務めた下川純弘氏、当時を語れる人は彼しかいない。

「夢であいましょう」の頃の永さんと私。

[11:35頃]
永さんと最初の出会い ― “NHKスタジオでの初めての永さんとの出会いは意外に・・・。”
[18:40頃]
『夢であいましょう』番組ディレクター末盛憲彦さんのこと ― “「夢であいましょう」の成功は末盛憲彦なしではあり得なかった。
[36:15頃]
放送までの一週間の流れ ― “放送終った土曜日から次の土曜日までの一週間、番組の舞台裏。”
[42:00頃]
今月の歌『遠くへ行きたい』の思い出 ― “ジェリー藤尾が歌ってヒットした名曲の陰にスタジオセットの力が。”
[1:10:10頃]
『夢であいましょう』オンエア映像は残っているか ― “当時はVTRが高価でキネコに残した。でも今残っているのは?”
[1:17:00頃]
『夢であいましょう』放送終了その後 ― “末盛ディレクター急死,キネコをVHSに、そこで永さん大活躍。”

おまけ:遠藤泰子さんによる歌詞の朗読「生きているということは」

  • 下川純弘さん

    下川純弘(しもかわよしひろ)

    NHKテレビ・元ディレクター、音楽プロデユーサ―。1961年日本放送協会(NHK)に入局。翌年、テレビ音楽バラエティ「夢であいましょう」に配属。演出チーフ・末盛憲彦氏の下で音楽担当のアシスタントディレクターを1966年番組終了まで務める。永六輔作詞、中村八大作曲「今月の歌」の制作に数多く携わった。その後「世界の音楽」「ステージ101」「昼のプレゼント」「歌のゴールデンステージ」など音楽番組を演出。1974年創設に携わった「レッツゴーヤング」は伝説的アイドル番組となった。その後も多くの音楽番組やイベントの企画・制作で活躍した。

  • 遠藤泰子さん

    インタビュアー 遠藤泰子(えんどうやすこ)

    フリーアナウンサー。立教大学文学部日本文学科卒業。TBSにアナウンサーとして入社。数多くのラジオ、テレビに出演した。5年後にはフリーとなる。テレビでは、「3時にあいましょう」「世界音楽祭」「歯の時間」などの司会を務める。ラジオでは入社2年目から始まった「永六輔の誰かとどこかで」(全国ネット)の永六輔のパートナーとして永が亡くなった2016年まで49年間相手役を務めた。並行して始まったTBSの長寿番組「森本毅郎スタンバイ」は27年になる名コンビとして現在も放送中。その経験を活かした講演活動、話し方研修、朗読会なども多数。著書「あったかい言葉で話したい」(大和書房)他。