高校生の頃からの知り合いでもある加藤登紀子と永六輔、二人には加藤の夫藤本敏夫を通じての交流があった。弱者の側に常に立つことを信条としていた永の社会活動の一端が垣間見られる貴重なインタビュー。
ラジオやテレビや歌や舞台から離れた永さんのこと
シンガーソングライター、作詞家、作曲家、女優。東京大学在学中にアマチュアシャンソンコンクールで優勝し歌手デビュー。翌年「赤い風船」で第8回日本レコード大賞新人賞、3年後加藤自身が作詞作曲した「ひとり寝の子守唄」で第11回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。1971年「知床旅情」大ヒット。 藤本敏夫氏との獄中結婚は話題を呼び一時歌手活動を休止したが、その後復帰、加藤登紀子独特の音楽の世界を拓いている。1987年には「百万本のバラ」が大ヒット。その間映画・テレビドラマにも出演し、女優としても好評を得た。今は「エデイット・ピアフ」をテーマとした楽曲で全国を公演中。
フリーアナウンサー。 立教大学文学部日本文学科卒業。TBSにアナウンサーとして入社。数多くのラジオ、テレビに出演した。5年後にはフリーとなる。テレビでは、「3時にあいましょう」「世界音楽祭」「歯の時間」などの司会を務める。ラジオでは入社2年目から始まった「永六輔の誰かとどこかで」(全国ネット)の永六輔のパートナーとして永が亡くなった2016年まで49年間相手役を務めた。並行して始まったTBSの長寿番組「森本毅郎スタンバイ」は27年になる名コンビとして現在も放送中。その経験を活かした講演活動、話し方研修、朗読会なども多数。著書「あったかい言葉で話したい」(大和書房)他。